バイク好きが一生食べていくための
道筋をつくってくれる会社です

レッドバロン新潟東 工場長堀澤 謙太郎

#03.

Kentaro Horisawa

27歳、工場長になると同時に父親にもなった

「20歳でレッドバロンに入社して、今年で19年になります。私はこの会社で整備士としての知識や技術だけじゃなくて、人としての生き方も学ばせてもらっていると思っています」

そう語るのは、レッドバロン新潟東の堀澤工場長。バイクに乗り始めたのは、16歳のとき。最初に買った愛車は、カワサキのZRX400だった。高校卒業後も専門学校に通いながらバイクに乗り続け、迷わず二輪整備士の世界に飛び込んだ。

「最初の配属先は、横浜市内のとにかく忙しい店舗でした。そこで先輩たちに迷惑をかけながらも、必死で仕事を覚えましたね。その後、愛知、静岡、北海道、熊本の店舗を経験して27歳のとき、レッドバロン日立の工場長になりました。」

「ちょうどこの年、妻が第1子となる長女を出産。喜びが重なりうれしかった反面、正直に言うと当時は不安も大きかったです。工場のトップという立場にいながら、まだまだ技術や知識に自信が持てないのが悩みで、工場長としてやっていけるか不安でしたね」

副社長のアドバイスに救われた

忙しい店舗で思うように仕事が回らず、どうしても帰宅が遅くなる日々。早く一人前の工場長になりたい——。そんな想いが強く、どうしても育児は妻に任せきりになっていたという。

「それから2年後、2人目の娘が生まれたころに、妻から苦しい胸の内を打ち明けられました。家事と育児を一人で抱えて、もう限界だったんだと思います。」

「このままではいけないと考えた私は、ずっと面倒を見てもらっていた整備部門のトップである副社長に相談しました。そうしたら愛知から茨城まで飛んで来てくれて、親身になってアドバイスをくれたんですよね。あのときのことは今でも忘れられません」

副社長のアドバイスは「家事をもっと“自分のこと”としてやるんだ。奥さんを手伝っているという感覚じゃ状況は変わらない」というもの。さらに、副社長自身も子育てと仕事の両立に悩んだ時期があったことを話してくれたという。

「あのときは、副社長と何時間も話し込みました。これには本当に救われましたね。一社員のために、こんなに親身になって話を聞いてくれるのかって。この会社は社員の家族のことも本気で大切にしてくれているのがわかって、一生信頼しようと決めました」

後輩の育成にますます力を入れていきたい

堀澤工場長の長女は、今年で12歳。レッドバロン日立からレッドバロン新潟東に転勤となり、工場長の肩書きも12年目に入った。多くの常連客から慕われる立場になった今、整備や点検の質向上と同様に、ますます力を入れているのが後輩の指導だという。

「振り返ると自分は本当に不器用だったと思います。そんな自分が今こうして妻と2人の子どもと共に元気に暮らしていられるのは、レッドバロンのおかげだと思います。だからこそ、自分が先輩たちに教わってきたように、後輩の育成にも力を入れていきたいんです」

レッドバロンはバイク好きの未来をつくる場所

副社長をはじめ、先輩たちの背中を見ながら必死に腕を磨いてきた堀澤工場長。最後に工場長にとって、レッドバロンはどのような存在なのか聞いてみた。

「レッドバロンという会社は、バイク好きが一生食べていくための道筋をつくってくれる場所だと思うんです。私も好きなバイクを仕事にして、家族を支えている今が最高に充実しています。これからも、バイクを一生の仕事にしていける後輩をひとりでも多く育てていきたいですね」

インタビュー

Interview

レッドバロンで働く先輩達のリアルな声を職種別に聞いてきました。