数々の整備を成し遂げてきたこの手が
今では私の自慢であり勲章です

レッドバロン鎌倉 工場長塚目 勝利

#01.

Katsutoshi Tsukanome

4年勤めた会社を辞めて、レッドバロンに転職

レッドバロン鎌倉の塚目工場長が22歳のとき、4年近く勤めた会社を辞めてレッドバロンに転職した。高校時代からオートバイ好きだった彼に、どんな転機が訪れたのだろうか。
「私は高校卒業後、飲料メーカーに就職して、オフィスに設置されたコーヒーベンダーをメンテナンスする仕事をしていました。上司や同僚に恵まれ楽しく過ごしていたのですが、ふとあるとき、『どうせなら、好きなバイクのメンテナンスを仕事にするという道もあるよなぁ』と考えたら、モヤモヤした気持ちが止まらなくなってしまったんですよね」
友人からは、『趣味は趣味にしとけよ』とやんわり反対されました。それでも『大好きなバイクと一緒にいられる仕事』にチャレンジしないまま一生を終えるというのは、どうしても納得できないと思って、バイク業界に飛び込みました」

コンビニで手を出すのも辛かった

ゼロからのスタートで、サービスマンを目指すと決めた塚目工場長。しかし、大好きなバイクの仕事は、楽しい半面、厳しい世界でもあった。日々の業務のなかで、人知れず悩みを抱えた時期もあったという。
「入社2年目くらいのことだったと思うのですが……。その頃は、レッドバロンのサービスマンとして覚えることが山ほどあるのに、国家資格の勉強もあって、まったく気持ちに余裕がありませんでした。それに、日々の仕事で汚れていく自分の手が嫌で、本気で悩んでいた時期でもありました。人に見られるのが恥ずかしくて、コンビニで財布からお金を出すのも辛かったですね」
「友人からは、『手、どうした?』と聞かれるので、思わず手を隠してしまいましたし、手を見た母親に『あんた、本当によう働いとるね』と言われても前向きには受け止められませんでした。自分で選んだ道だけど、オレの人生、これでいいのかな……と、そんなことを考えていましたが、あるお客さまのひと言に本当に救われたんです」

「兄さんのその手に全部任せるわ!」

その方は、ホンダCBR900RRという大型車に乗ったベテランライダーのお客さまだった。自慢のマシンが持ち込まれたときは、エンジンや足回りに大がかりな修理が必要な状態だったという。

「修理の見積りをしたところ、およそ30万円。それって、買い換えも視野に入ってくる金額なんですよね。それで、『どうしよっかな~』『迷うわぁ』って、頭を抱えておられました。それを見ながら、入社2年目の自分は何も言えなかったのをよく覚えています」

「しばらく沈黙した後、『よし決めた!』と言ったお客さまの表情は今でも忘れられません。そして、穏やかな笑顔でこう言ってくれたんです。

『ま〜高いけど、兄さんの手見てたら、単車ようけ触っとるのわかるから、全部任せるわ!』

思わず、嫌いだった自分の手をじっと見ましたね。この手は数々の整備を乗り越えてきた勲章なんだって……。自分のやってきたことが認められ、自信がついて、この仕事に誇りが持てた瞬間でした」

22歳の決断は間違っていなかった

それからは、仕事で大変なことがあっても迷うことはなくなったという塚目工場長。やればやるほど知識が増え、自分の可能性が広がる整備職が、今では楽しくて仕方ないという。
「工場長になった今では作業の腕も上達し、手の汚れはほとんど目立たなくなりました。大好きなバイクと一緒にいられる仕事に就いて8年。あのときの決断は間違ってなかったと自信を持って言えます。好きなことを仕事にするって、最高ですよ!」

最近は、後輩の指導にも力を入れる塚目工場長。大きな壁を乗り越える力をくれたお客さまのひと言は、今でも仕事をするうえで彼の大きな糧となっている。

インタビュー

Interview

レッドバロンで働く先輩達のリアルな声を職種別に聞いてきました。